世界がただ一つの道であったころ、人も獣もそれ以外の存在も、みな連なって一つの道の上を歩いておりました。  見上げる空は青く明るく、薄い雲がたなびいています。足下の空は暗く深く、最果てともその向こう側ともつかぬ遠くに星の雲が渦を巻いています。  前方には先を行くものの影法師が、夢のように揺れておりました。後方のことはただひとりを除いた誰にもわかりません。一つの道を行くものは誰も、振り返るということをしなかったのです。  後ろ側を知るただひとり、彼の人は採録者でした。採録者は誰よりも長く世界を歩んでいました。出会ったものを記憶の棚に並べ収めて、名前を付して、また道を歩いて行くのです。  ときには動けなくなってしまったものを掬い上げることもいたしました。  立ちすくむものたちは前にも後にも行かれず、困りきった悲しそうな顔で空を見上げています。不思議そうにぼんやりするばかりのものもおりました。  採録者はそれらひとつずつに、優しく尋ねました。  ゆきたいか、かえりたいか。  答えを聞き届けると、彼の人はきれいな白い手袋を着けた指先を伸ばします。触れたものはたちまちのうちにすべての重さから自由となり青い空へ、あるいは遥かな星空へと消え去るのでした。  あるときのこと。採録者は、道の先に背を向けてたたずむ娘に出会いました。  道を行くものと真正面から向き合うその姿は奇妙なものでした。世界の在り様からすれば、すっかりさかさまであるといえましょう。 「いやなの」  まだ尋ねることもしていないのに、むすめは言いました。 「私はどこにも行かない。私のことは、置いて行って」  さかさまのむすめは、大きな口から鋭い牙をしきりに覗かせて訴えます。採録者に出会うずっと前から、告げる答えは決まっていたようでした。 「いいだろう、お嬢さん。それがきみの見つめる世界であるのなら」  採録者は静かに答えました。むすめの望む通りに、手を差し伸べることはいたしませんでした。  採録者とむすめは道幅の半分ずつを譲り合い、お互いを追い越しました。後の先へ、それぞれの行く先へと向かいます。 「さよなら、永遠を歩む人」  採録者は足を止めたまま、来た道を振り返りました。  一度はむすめに別れを告げるために。飛ぶように駆ける背中は、光り輝いておりました。  二度めは憶えておくために。そこにはもう誰もおらず、擦り切れた道の終端があるばかりでした。  三度めはありませんでした。振り返る先になにも残されてはいないことを、彼の人は知っています。世界でただひとりきり知っているのです。  採録者は得難き破片を記憶の棚に収めました。ふさわしい名を与えました。いつか取り出されるときのために。どの輝きをも見失うことのないように。  そうしてひととおりが終わればまた歩き出しました。一つの道を、先へ先へと進んで行くのでした。

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